2008年10月4日土曜日

いわきヒューマンカレッジに参加


              以下、クリックして大きくして見てください。
            国指定重要文化財の薬王寺所蔵の2点です。
              「いわきのお寺さん」より

              国指定重要文化財の薬王寺の2点です。
                 「いわきのお寺さん」より

             薬王寺(やくおうじ)の簡単な説明があります。
               「いわきのお寺さん」より

                薬王寺の説明があります。
                「いわきの遺跡めぐり」より


       以下、14ページは松本先生の今日のレジメです。


















昨日、いわきヒューマンカレッジいわき学部4回目の講座に参加しました。
「薬王寺と板碑」講師は松本 友之先生でした。
元いわき市文化財保護審議会 会長をされていた方です。
  1. はじめに
    薬王寺の事をくわしくかかれています。(P1)
  2. 薬王寺所蔵の文化財概要(P2~P3)
    国の重要文化財を含めた13の所蔵品が書かれています。
  3. 薬王寺板碑概説(P3~P4)
    ①研究史
    ②いわきの板碑の分布
  4. 薬王寺板碑に刻された被供養者と忌日(P4~P6)
  5. 十三仏・十王信仰の普及(P6)
  6. 決言(P7)

    P8~P14は、「板碑」の拓本写真が載せられています。

以上のような内容で講義は進められました。

1)板碑(いたぴ・ばんぴ)又、昭和42年以前は「古碑」とも呼ばれ、
  研究者によって呼び方も違うそうです。
  先生は「いたぴ」と呼んでいます。
  追善供養で石に刻まれた塔婆をいいます。

2)薬王寺は四ッ倉薬王寺字塙にあり、新義真言宗智山派のお寺です。
  いわきのお寺さん(P23)やいわきの遺跡めぐり(P38)を参照してください。

3)記録としては
  ①薬王寺由来記(江戸時代)
  ②延寿護法録(江戸時代)
に書かれ、また、金沢文庫の古文書の中に

1295年(永仁3年)禅弁が「宝寿抄」に書かれることによって、

薬王寺は13C末には存在が証明され、

又、寺内の「板碑」の時期もその古文書の年代と合うことからも証明されると。

4)室町時代(15C中ごろ)

 岩城氏が千葉より鏡祐を連れて薬王寺を再興。
 「延寿護法録」「逗子入金銅宝篋印舎利塔」などの密教宝器を残した。

5)薬王寺の文化財は13あります。
  又、板碑は現在60あり(約100年間で)いわきの60%がありますが、
  理由はわからないとのことです。
  板碑は、石作りの供養塔婆といいます。

6)700年前から、

  現在の葬式の時行われていることが続いていることに驚きました。
  初七日~三十三年忌などの習慣が・・・・

結論としまして、

いわきでは鎌倉時代には
①阿弥陀信仰
②胎蔵界大日如来の二つの潮流があったことが証明されたと。

すなわち、阿弥陀信仰による浄土思想が隆盛といわれた「いわき」でも

「胎蔵界大如来」の「心の問題を追及した真言宗の宗教」が存在したことによって

いわきに鎌倉仏教の二大潮流があったのだと。

それを証明する物が「薬王寺の板碑だ」と。



松本先生、丁寧なレジメと、わかりやすいお話で、

身近で忘れられたものの中に、深い意味があることに感動した講義でした。

ありがとうございました。










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