2008年12月27日土曜日

私のいわき探訪2

                「ヤマナシ」の古木です。
               花の時期はすごいらしいです。
               以下、クリックして大きくして見てください。
              小野佳秀先生のレジメです。









今年初めての寒波到来の昨日、
「いわき再発見講座Ⅱ」・・・私のいわき探訪2
「いわきをすくった幕僚小名浜の蔭山・寺西代官」
講師は小野佳秀先生(いわき暮らしの伝承郷館長)でした。
  1. 蔭山外記(21年在任)

    近世三大飢饉の一つである天明二年より七年までの5年の「天明の大飢饉」
    に遭遇しましたが、 仁政を施した。
    今までは、「天明飢饉の碑」「川前村誌」があり、
    飢饉の状況を示す資料だけでしたが、
    今回「奥州飢人夫食合力助合米麦員数並差出候者名書付控」の資料が
    見つかり、 飢饉のとき、
    援助の米や麦の石高とその他の援助穀物を代官所に提出した
    農民の名を期した帳面が見つかり
    蔭山代官の仁政が資料で裏付けられました。

  2. 寺西重次郎(36年在任)

    代官に赴任した当時は、「天明の大飢饉」後の退廃していた時代で、

    復興への機運にはまだ間のある時代といわれましたが、

    ①「寺西八カ条」で、天と地の自然事象、親子兄弟の肉親関係、
     農業への専念を説き 、
     飢饉後の復興の為に人間生活の基本を説きました。

    ②「申渡の覚」で、出産前後の諸般に対する支持をを懇切に示した。
      「出産に付御手当」の支給制を実施しました。
       ・・・人口増の施策で成功しました。

    ③「寺西重次郎賭之諸勝負禁止令」

    ④「御領私領一同民家風俗御改正申渡書付」の十七カ条を
      隣接する藩主十人に呼び掛けて決定しました。

などの政策で

復興させ領民からも慕われました。

貴重な資料、小野先生ありがとうございました。

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