2008年2月12日火曜日

いわき・史跡めぐり・・・金冠塚古墳





クレハ工場内にある古墳です。

市民の皆さんが普段通過しています橋の下にこの古墳はあります。(錦町堰下)
昔は7つの円墳が並んでいたそうです。

(中田七曜塚)。

現在は、一つしか残っていません。

古墳は直径28m、高さ3m、墳丘は2段築成といわれる円墳です。
お墓は、大型の礫を積み重ねた横穴式石室です。
6C~7C はじめ、聖徳太子時代に築造されたといわれています。
石室内部からは、人骨はじめ、様々な副葬品が出土されています。
華やかな金銅製品を副葬した武人系の被葬者と考えられています。
現在、副葬品の多くは、東京国立博物館に所蔵されています。
この時代、百済は、高句麗、新羅に攻められることにより、日本に援助を求め、その対価として、
先進文化を送ったと思われます。
このお墓の人も、朝鮮へ戦いに出たのではないか。
この時代、日本では、飛鳥寺、法隆寺が建立されています。
その後、律令による国造りに始まる、古代激動の時代となります。
国の命令により、金冠塚古墳以降では、大きなお墓は作られなくなります。
菊多郡最後の横穴の石室のお墓となりました。
「いわきの遺跡めぐり」・・・いわき市観光物産協会が、案内役になる参考文献です。

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