「 山村暮鳥と磐城平の浜街道」の地図です。
          下の地図と対です。(こちらが右になります。)
 こちらを左にして見てください。
                  こちらを左にして見てください。
       
 こちらを左にして見てください。
                  こちらを左にして見てください。デジカメを持っていましたので、暮鳥の「雲」の詩碑を撮影しました。
今まで撮影しないのが不思議でしたが・・・・・
2005年の12月10日に平地区まちづくり懇談会主催で、
「平まちなかウォーク~山村暮鳥と磐城平の浜海道」と題しまして、
現在の平の町並みの成り立ちを考えながら経済的に隆盛を誇った大正期と、
その時、平に滞在し、多くの詩人たちと交わり、
かつ育てた詩人「山村 暮鳥」について学びながら
暮鳥が住んだ街を歩きながら勉強する機会があり参加した記録を上記に載せました。
- 文化センター出発・・・「雲」の詩碑
- 堂の前公園・・・欣浄寺跡
- 子鍬倉稲荷神社・・・内藤公の時代再建された。
- 塩屋山崎合名会社・・・塩問屋(平藩の鯱鉾(しゃちほこ)が残されています。)
- 掻槌(さいじつ)小路門・・・武士と商人の町の境として建てられていた。
 (現在は、藤間の青木宅に現存しています。)
- 大正時代の掻槌小路・・・暮鳥宅(瀬尾薬局より2件目の家に住んでいました。)
 清光堂分店(岡田電機社長宅)
- 暮鳥の教会跡地(明治30年ごろ建てられた。)
- 磐城平の浜海道・・・本町通り(商人の街)
- 清光堂跡地(叶田産婦人科の跡)
- 太一屋さん(現在は解体されてしまいました…残念ですね。)・・・雑貨商
- 3番館(旧大黒屋跡)・・・処刑場があった関係でお地蔵さんがありました。
- 魚市場跡地・・・昭和52年まで。(伊勢屋さんの前)・・・現在は駐車場。
- 釜屋(諸橋商店)・・・現在はコーヒ屋さんなど。
 明治41年に建物は出来ました。
- 松崎商店(ふすま紙屋さん)・・・明治39年の大火事以降の建物です。
 いのしし君はふすまを張る時、ここから購入します。
- 諸橋呉服店・・・・・新川(にいかわ)町の旧家です。
- 愛谷江筋・・・・・・排水路
 (これらの水の確保により石高が7万石より9万石に増えました。)
- 延命地蔵堂・・・江戸時代はお寺がありましたが火災で亡くなりました。
 (正定寺…浄土宗)
- 河原子地蔵堂(首切り地蔵)・・・1738年(元文3年)9月、
 平藩で2万人が押し寄せる農民一揆で首を切られた
 農民指導者をしのんで建てられました。
- 新川・・・・・内藤公の時代にでき、昭和まで続いていました。
 元の川は「古川」と呼ばれたが、上が道路になってしまったため、
 「古川」が「新川」に名前が戻ったといわれます。
 中央警察署近くのマツヤペットさんから、「さのさ」酒亭さんまでを「新川」といいました。
- 「長橋門」があった家・・・高野さん。(浜見屋家具店さんの前)
 1866年戊辰戦争で攻められ、
 焼けた柱を利用して家を建てた家が残っています。
 (弾の跡も残っています)・・・凄いことですよ。
 柏屋さん(安藤公の時代、材木商をやっていたそうです。
 それで、長橋門を寄付したので焼けた柱をもらったそうです。)
- 文化センターで解散した、まちなかウオークの旅の記録でした。
歴史を勉強するとはこういうことで、
ただ本を読めはいいのだということではないのですね。
なお、暮鳥さんについては、本もたくさんありますが、
2004年8月に、福島民報さんで、
「雲と祈りの詩人」と題して、21回連載されていますので参考にしてください。






 
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