2008年3月12日水曜日

いわきフォーラム'90・・・ミニミニリレー講演会


「いわきの海」が右としてみてください

この絵は、戊辰戦争時の官軍と幕府軍が、平潟港に上陸した様子を
昭和初期に、小名浜の歴史学者が、大きな絵に描いたもののコピーです。
作者はわかりません

いわきフォーラム90主催、ミニミニリレー講演会・・・286回に参加。


「吉村昭作品にみる幕末・維新の医師群像」

…平潟~会津~仙台~函館・五稜郭・・・と面白い議題ですね。


講師は、矢吹道徳さん(フォーラムの事務局長)です。


なぜ吉村作品を読むことになったことから話し、自分の住む「高久地区」に、

旧平藩、安藤家の家臣で、ご典医の末裔であられる「松井家」

当時の医療の資料があり、

それを吉村さんの「日本医家伝」の協力者の酒井シズ順天堂大学名誉教授に

見ていただいてから、

読み始めたと。

ところが、読み始めると、幕末から明治維新にかけて、

日本の近代医学の創始者の多くが

私達のこの「いわき」の地に、足跡を残していることに驚いたと。

(官軍、幕府軍両方に参加。)


幕末から明治に至る戊辰戦争は、「官軍」と「幕府軍」・・・東北諸藩の主力軍が、

東北各地、北海道を主戦場で戦ったが、その中心の「会津征伐」の為、

官軍は数方面から責めましたが、太平洋からは、江戸開城の後、海路品川から、

川越藩の飛び地の「平潟港」へ上陸・・・・上記の絵を見てください。

クリックして大きくしてみますとその状況がわかります。

  • 磐城~二本松~会津へと。
  • 棚倉~白河~会津へと。

会津を中心とした奥州列藩同盟に参加した

磐城の各藩(泉、湯長谷、平)は、

城下が戦乱に巻き込まれたと。

そうした戦いの中に、「官軍」「幕府軍」ともに従軍した医師群が存在し、

それらの群像が吉村作品に克明に描かれていると。

一人は「白い航跡」の高木兼寛です。・・・官軍に参加。のち、慈恵医大を創設。

また、森鴎外との脚気論争で、ビタミン不足によると論争に勝ちます。

(勝つのは死後のようですが…)

幕府軍では「暁の旅人」の佐藤良順(松本順)です。土方歳三に説得され、

戦列を離れて、

その後、初代陸軍医総監になります。

このように敵味方として戦った人たちのことを、克明な調査のもとに同時に、

地元の協力者を発掘し、協力を得て完成したのではないかと矢吹さんは講演しました。

大変貴重な話で面白く聞かせていただきました。

矢吹さんありがとうございました。

特に、「戊辰戦争・いわきの海」の絵は貴重ですね。

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