以下、クリックして大きくして見てください。
国指定重要文化財の薬王寺所蔵の2点です。
「いわきのお寺さん」より
以下、14ページは松本先生の今日のレジメです。
- はじめに
薬王寺の事をくわしくかかれています。(P1) - 薬王寺所蔵の文化財概要(P2~P3)
国の重要文化財を含めた13の所蔵品が書かれています。 - 薬王寺板碑概説(P3~P4)
①研究史
②いわきの板碑の分布 - 薬王寺板碑に刻された被供養者と忌日(P4~P6)
- 十三仏・十王信仰の普及(P6)
- 決言(P7)
P8~P14は、「板碑」の拓本写真が載せられています。
以上のような内容で講義は進められました。
1)板碑(いたぴ・ばんぴ)又、昭和42年以前は「古碑」とも呼ばれ、
研究者によって呼び方も違うそうです。
先生は「いたぴ」と呼んでいます。
追善供養で石に刻まれた塔婆をいいます。
2)薬王寺は四ッ倉薬王寺字塙にあり、新義真言宗智山派のお寺です。
いわきのお寺さん(P23)やいわきの遺跡めぐり(P38)を参照してください。
3)記録としては
①薬王寺由来記(江戸時代)
②延寿護法録(江戸時代)
に書かれ、また、金沢文庫の古文書の中に
1295年(永仁3年)禅弁が「宝寿抄」に書かれることによって、
薬王寺は13C末には存在が証明され、
又、寺内の「板碑」の時期もその古文書の年代と合うことからも証明されると。
4)室町時代(15C中ごろ)
岩城氏が千葉より鏡祐を連れて薬王寺を再興。
「延寿護法録」「逗子入金銅宝篋印舎利塔」などの密教宝器を残した。
5)薬王寺の文化財は13あります。
又、板碑は現在60あり(約100年間で)いわきの60%がありますが、
理由はわからないとのことです。
板碑は、石作りの供養塔婆といいます。
6)700年前から、
現在の葬式の時行われていることが続いていることに驚きました。
初七日~三十三年忌などの習慣が・・・・
結論としまして、
いわきでは鎌倉時代には
①阿弥陀信仰
②胎蔵界大日如来の二つの潮流があったことが証明されたと。
すなわち、阿弥陀信仰による浄土思想が隆盛といわれた「いわき」でも
「胎蔵界大如来」の「心の問題を追及した真言宗の宗教」が存在したことによって
いわきに鎌倉仏教の二大潮流があったのだと。
それを証明する物が「薬王寺の板碑だ」と。
松本先生、丁寧なレジメと、わかりやすいお話で、
身近で忘れられたものの中に、深い意味があることに感動した講義でした。
ありがとうございました。
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