2008年10月16日木曜日

いわきヒューマンカレッジに参加

                パソコン仲間のKさんが撮影しました。

           以下3枚、クリックして大きくして見てください。
           馬目先生のレジメです。








10月14日「第20回全国生涯学習フェスティバルinいわき」主催事業公開講座

並びに「いわきヒューマンカレッジ いわき学部 第5回講座」として、

「いくさの考古学」・・・・・動乱の舞台を考古学的手法で丹念に灯影する・・・・・

講師は馬目順一先生でした。


  1. 皇朝十二銭始末
  2. ①和同開珎(708年)~乾元大寶(958年)までの250年で、12種類作られた。
      年代が下るにつれてだんだん小さく粗悪化されてきた。
      1枚1文で使役1日分の労賃でした。

    ②公共事業を政府はやらなくなり、
      律令制度に基づく国司が直接行かなくなり在地の者に
      任せるようになった結果

    →武士階級が発生してくる。


  3. 食人の風習 カニバリズム
  4. ①プエブロ(インディアン)遺跡・・・・・アメリカのアナサジ文化(紀元後~14C)

    ②コロラド州カウボーイ・ウオッシュ遺跡・・・人骨が解体されて出てきた。
      人を切り刻んで土器に入れて煮た。(土器に付着していた。)

    →アメリカインディアンの人を食べた証拠が出てきた。

  5. 鎌倉攻めの戦死人骨
  6. ①昭和28年~31年 材木座遺跡調査・・・910件の人骨が出てきた。

    ②昭和34年     極楽寺遺跡調査・・・1000件の人骨が出てきた。 
     鎌倉時代の骨とわかり、新田義貞の鎌倉攻略(1333年)・・・元弘3年、
     戦死者6000人ではないかと。

    両遺跡の人骨出土状態の相違
     (埋葬の在り方がまったく違っていました。)
     
    1.材木座の人骨には傷がありました。

      1)完全な人骨はいくつあるか。
      2)遺体が大体そろった遺体はいくつあるか。
      3)遊離した遺体はいくつあるか。
      4)バラバラの遺体はいくつあるか。

     2.極楽寺の人骨について

      1)完全なものは1体もなかった。
      2)今昔物語に「できもの」を治すのに、
        それを取るのに男性の肝(きも)を食べると治るということが
         書かれています。
      3)寺のトップの忍性(にんしょう)は社会事業として
        ハンセン病の人を保護していました。

        →ハンセン病の治療の為、人体を食べた後の証明ではないかと
         (当時、日蓮は、人の肉を食べるのは、
          許されるものではないと書いていました。)


  7. 鉄砲伝来論争と1543年(日本発見)
  8. ヨーロッパは日本を1543年(又は1542年)発見したと。

    すなわち、種子島へ、ポルトガル人が鉄砲を伝えたからと。

      1)、船はどこのか?
        ジャンク(中国の船)・・・竹の笹で編んで作った船でした。(倭寇船)

      2)で鉄砲はどこのか?

        火縄銃の型式で南アジアの鉄砲でした。

      →シャムより脱走して、中国に向かって逃げていた人達が
       種子島を発見したと。

       鉄砲伝来は石見銀山(灰吹き法)の銀を
       持ち帰ったと考えられると。

 5.第7騎兵隊の戦場

    ①カスター将軍(リトルビックホーン)・・・1876年6月、第7騎兵隊全滅

      アメリカインディアンの銃(弓矢は少ない)は
      第7騎兵隊と同じ銃を持っていたと。
      ・・・1984年の遺跡の調査でわかりました。

    ②クロウ・クリーク遺跡(インディアン同士の戦い)・・・コンピューターの活用
       人骨調査にコンピューターを導入。

    →戦跡考古学の抬頭

結論として:

考古学とは、人間の醜いものまで、

探す過酷な学門なのだと。

このように馬目先生は講演なされ、考古学の進歩に私は驚きました。

馬目先生、貴重なお話ありがとうございました。



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