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竹之内遺跡の概要です。(いわきの遺跡めぐりより)
真ん中の2つが竹ノ内遺跡の竪穴住居跡と土器です。
紋様はいろいろです。(時代により変わります。)
出土された縄文の土器です。
縄文の紋様に注目してください。
よく見ますと紋様の違いがわかりますね。
これは弥生式土器です。
上と同じものです。
碑が建てられています。
沢渡小学校のグランドより撮影しました。
近くに川が流れ、日当たりのよい場所です。
半分は発掘しないでそのままです。
今も残っています二宮金次郎の銅像です。
①縄が縦についていました。
・・・・・縄文早期の南北文化交流を示す標準遺跡といわれます。
三和町下市萱字竹之内(戦国時代は館の1区画でした。)
30年前に沢渡小の先生が発見され、1980年グランド拡張工事に伴い、発掘され、
貴重な文化内容がわかったと。
場所は、上記写真のように、南に向く、日当たりのよい丘陵中腹斜面(標高415m)で、
平坦地ではありませんでした。
発見されたのは、
①竪穴住居跡一屋を完堀。・・・約一万年前でした。
カヤを張ってその上に土を載せた住居跡で、東北では一番古いものといわれます。
②黒曜石の発見(信州霧ヶ峰の産と判明しました。)
鋭い破片で、黒曜石製局部磨製鍬形鏃といわれます。
それを真似ていわきの石で作られたものも出土されています。(よくないそうです。)
③それらと一緒に縄文土器・・・縄がない
山形の形が押してあります。・・・山の形を刻んで、押しつけて作ります。
中部・関東系文物で、長野県より来たと考えられます。
狩り(またぎ)をする人ではと思われます。
特殊な狩りをする道具が出土されていますので。
(石鏃を磨いてある黒曜石です)
・・・一部は栃木産もありますので信州→栃木→沢渡へと
岩手県のものも少し出土されました。
これらの結果:
南限と北限と位置づけられ、いろいろなところから文化が集まった
当時の市場のような存在ではなかったのではないかと考えられています。
定住した最古の遺跡と考えられています。
いわきでは一番「古い家跡」」と「土器」です。
「つぼ」の分類について:
つぼは、先端がとがっています。
石をおいて、その中につぼをおいたと考えられます。
①縄が縦についていました。
(木に縄を巻いてつけました。=よりともといいます。)
・・・関東地域で発達しました。
・・・関東地域で発達しました。
②紋様がないつぼ。
③山形(波型)の紋様のつぼ。
④木のヘラ(竹のヘラ)デ紋様をつけたつぼ
・・・・・「竹之内式土器期」が設定されています。
これらの人達の後が続かないということは、
これらの人達の後が続かないということは、
信州へ帰ってしまったのでしょうか。
1 件のコメント:
Loved it. Have a blossom blessing.
PALAVROSSAVRVS REX
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