2008年11月1日土曜日

いわき・三和町の史跡めぐり・・・Part1

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          上ノ原経塚です。(いわきの遺跡めぐりより)
         いわきヒューマンカレッジいわき学部第3回目
         「経塚が語る庶民の願い」猪狩先生資料より

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             以下3枚のレジメは、
             「経塚が語る庶民の願い」よりです。


        今日の史跡めぐりをまわりましたところの地図です。
                 今日の工程表です。

10月31日、いわきヒューマンカレッジいわき学部第7回講座は、
いわき三和町の史跡めぐり
・・・郷土の重厚な歴史の推積を求めて、奥深い阿武隈回廊を行く・・・

講師は、馬目順一先生でした。

上記の工程表や地図を見てください。

①Part1・・・上ノ原経塚
②Part2・・・竹之内遺跡
③Part3・・・三倉城跡
④Part4・・・作B遺跡を書いていきます。

上ノ原経塚は、平安時代後期の経塚で、遺物は、
県指定重要文化財に指定されています。

好間町北好間字上ノ原にあります。
(クリナップの老人施設より見まして、左上の竹やぶの中です。)

見晴らしのいい場所に作られ、一望に見渡せる場所にあります。


経塚とは:

経典が失われること(末法思想・・・平安時代の終わり)を恐れて、

失われる前に保存しようという考えで、筒に経典を巻いて、それを埋めて、

後日、経典を世に出そうという考えが、当時広まりました。

経塚は、藤原道真が最初に作り、その後、末法時代に入りましても、

問題がなかったので極楽往生思想へと移っていったといわれています。

経塚は、最初は紙に書いて巻かれていましたが、その後、粘土や石(江戸時代)

にして、埋葬されていきました。

「上ノ原経塚は、直径2mくらいの大きな穴の中に河原石を積み上げて、

小さな部屋が作られ、写経した法華経の経典を入れた鋳銅製の経筒が

外容器に入れられることなく正位に安置され、

その周囲には経典を守護する為の鉄鏃や鉄刀が配されていた」

と「いわき遺跡めぐり」 に書かれています。

そのようにして作られた

「上ノ原経塚」の願いは

極楽浄土を願ってと考えられます。

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