2008年11月10日月曜日

いわき地域学會巡検に参加・・・Part3

              以下、クリックして大きくして見てください。
             大寶寺(日蓮宗)・・・いわきのお寺さんから


    欣浄寺(ごんじょうじ)(浄土宗)・・・いわきのお寺さんより
              良善寺(浄土宗)・・・いわきのお寺さんより
       性源寺(しょうげんじ)(曹洞宗)・・・いわきのお寺さんより

   大寶寺さんには歴史的に重要な人物の霊が眠っています。    澤村勘兵衛・・・自刃の跡です。(小川江筋を作りました。)

 小川江を掘り、用水に恵まれない土地に夏井川の水を与え、
            農民の生活を豊かにして感謝されました。
          なぜ、自刃せざるを得なかったのでしょうか。
                 平藩の儒学者の室桜関のお墓です。
             鍋田三膳のお墓もこのお寺にあるそうです。

        欣浄寺さんに眠る戊辰戦争時の官軍の方のお墓です。

                    官軍の方のお墓です。
          このお寺には、内藤公時代のお小姓騒動の
        青山九八朗のお墓もこのお墓の側にありました。              良善寺さんにあります安藤家の菩提寺です。
              戊辰戦争時の幕府軍の戦死者のお墓です。
           毎年八月に旧藩士のご遺族(平安会)が集まり、
          戊辰戦没者と先祖の供養を慰めているそうです。
                  戊辰戦死者の碑です。

               境内に四季桜が咲いていました。
         戊辰戦争時、管軍が攻めた時の鉄砲の弾の跡です。
               生々しい感じがします。


    性源寺さんにあります戊辰戦争時の官軍の方のお墓です。
  このお寺が管軍の野戦病院でした。(院長は関 寛斎でした。)
先月のいわき地域学会で関 寛斎については関内先生が講義しました。                私たちの戒めの姿です。
                このお寺に残ります
             「関 寛斎」の写真です。(真ん中の人です。)

                戊辰戦争時の大砲の弾です。
                重いです。
             戊辰戦争時の戦いを説明する関内先生です。


        炭鉱などで亡くなられた朝鮮の方のお墓もあります。
                 戊辰戦争時の鉄砲の跡が残っています。


旧磐城平城跡の見学の後、
戊辰戦争に関わりのあるお寺を四つ廻りました。
  1. 大寶寺(日蓮宗)

    歴史的に重要な方のお墓があります。
    又、小川江筋を作りました澤村勘兵衛が白刃したところには驚きました。
  2. 欣浄寺(ごんじょうじ)(浄土宗)

    官軍のお墓かがあります。
    内藤公時代のお小姓騒動の青山九八朗のお墓もありました。
  3. 良善寺(浄土宗)

    平藩主だった安藤家の菩提寺です。
    戊辰戦争時の幕府軍の戦死者のお墓があります。
    八月には、旧藩士のご遺族(平安会)が集まり、
    戊辰戦役者と先祖の霊を慰めています。
  4. 性源寺(しょうげんじ)(曹洞宗)

    先月のいわき地域学會で、「関 寛斎」を関内幸介先生で学びましたが、
    その官軍の野戦病院がこのお寺でした。
    関 寛斎は長崎で近代医学を学び、平潟に上陸するや否や、
    住民の間に蔓延した腸チフスや戦傷者を近代医学を用いて処理し、
    一万数千人を治療し合わせて、地元の医師たちをも教育したと。
    その事実からもこのお寺は、

    いわきの救急病院と
    近代医学の発祥の地です。

    又このお寺には、戊辰戦争時の官軍のお墓もあります。
    炭鉱などで亡くなられた朝鮮の方のお墓もあります。

    今回は、戊辰戦争140年ということで今回このような企画で巡検できまして、
    特に普段見られないお寺さんを見て、様々な人物が、
    眠っているのを見ましてより身近になったような気がします。
    歴史の見方がより深くなったという気がしました。

企画されたスタッフの皆さんに感謝いたします。
ありがとうございました。


又、資料が貴重で、読んでより理解を深めたいと思います

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