三倉城跡(さのくらじょうあと)の概要が書かれています。
大きな山城でした。
歩くと20分くらいとか。
冬にはいのししが出ます。
曲輪(くるわ)の一部です。
江戸時代の碑のようです。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
三倉城の位置と縄張り概念図
( 原図は吉田生哉先生です。)
クリックして大きくして見てください。
ヒューマンカレッジいわき学部第6回講座
「いわきの中世城館」 の吉田生哉先生の資料から
いわき三和町の史跡めぐりPart3は
いわき三和町の史跡めぐりPart3は
「三倉城跡」・・・岩城氏領境目の拠点で、磐城の北西の要衝を守る拠点城郭でした。
三和町上三坂(田子商事ガソリンスタンド左の大きい山全体が城でした。)
岩城氏の北の砦で三坂氏の居城でした。
- 大手門・・・城へ行く正面のこと
- 搦め手・・・城の裏面のこと
- 虎口(こぐち)・・・城の重要なところ(補給場所)
- 主郭・・・・・城主が住む場所(土の塀)
- 物見台・・・のろし台
- 掘り底道・・からみちとして利用
- 腰曲講・・・簡易の道
などがあった。
三倉城は三坂にあり、郡山市、小野町、石川町へ
向かう交通の要所にあたりますので、
戦国時代の岩城氏の領国の境目の城郭として重要だった。
標高662mの山頂を全体に築城されて、全長500mの山城で、
山頂部の詰城としての細長い曲輪と主郭部としての広い曲輪は、
土塁・堀切・石垣を巧みに配する大規模なもので、
連続した虎口に特徴があります。
当時は中央政府がないので、戦国大名が出てからそれぞれの地方で城が作られた。
(戦いの時代に入ったと考えられます。)
1542年以降の鉄砲伝来により、城・鎧は変わった。
「夏草や 兵どもが 夢の跡」
・・・奥の細道より
を感じる風景でした!
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