2008年11月2日日曜日

いわき・三和町の史跡めぐり・・・Part3

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    三倉城跡(さのくらじょうあと)の概要が書かれています。
                   大きな山城でした。
                まっすぐ行きますとお城に登れます。
              歩くと20分くらいとか。
              冬にはいのししが出ます。
               曲輪(くるわ)の一部です。
                  江戸時代の碑のようです。

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                三倉城の位置と縄張り概念図
(               原図は吉田生哉先生です。)

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            ヒューマンカレッジいわき学部第6回講座
      「いわきの中世城館」 の吉田生哉先生の資料から


いわき三和町の史跡めぐりPart3は
「三倉城跡」・・・岩城氏領境目の拠点で、磐城の北西の要衝を守る拠点城郭でした。

三和町上三坂(田子商事ガソリンスタンド左の大きい山全体が城でした。)

岩城氏の北の砦で三坂氏の居城でした。

  • 大手門・・・城へ行く正面のこと

  • 搦め手・・・城の裏面のこと

  • 虎口(こぐち)・・・城の重要なところ(補給場所)

  • 主郭・・・・・城主が住む場所(土の塀)

  • 物見台・・・のろし台

  • 掘り底道・・からみちとして利用

  • 腰曲講・・・簡易の道
などがあった。

三倉城は三坂にあり、郡山市、小野町、石川町へ
向かう交通の要所にあたりますので、

戦国時代の岩城氏の領国の境目の城郭として重要だった。

標高662mの山頂を全体に築城されて、全長500mの山城で、

山頂部の詰城としての細長い曲輪と主郭部としての広い曲輪は、

土塁・堀切・石垣を巧みに配する大規模なもので、
連続した虎口に特徴があります。

当時は中央政府がないので、戦国大名が出てからそれぞれの地方で城が作られた。
(戦いの時代に入ったと考えられます。)

1542年以降の鉄砲伝来により、城・鎧は変わった。

「夏草や 兵どもが 夢の跡」
・・・奥の細道より
を感じる風景でした!

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