「上ノ原経塚」の概要です。
「いわきの遺跡めぐり」より
藤原道長金銅製経筒(国宝)などです。
県指定重要文化財になっています。
「上ノ原経塚」の紙本朱書法華経のコピーです。
上と同じです。
クリックして大きくして見てください。
「経塚が語る庶民の願い」
講師は、猪狩 忠雄先生(いわき地域学会 幹事)でした。
- 経塚とは
仏教経典を地下に埋葬した施設の事。
平安時代後期~末期にかけて、貴族を中心に作られ始め、
次第に一般庶民(富裕層)に波及したものです。 - 経塚の種類
- 造営場所
- 経塚の出土品
- 最古の経塚・・・・1007年藤原道真が金峯山に納経したのが最初です。
- 上ノ原経塚
①所在地
②規模
③石室出土品
④経塚土坑内出土品
⑤葺石内出土品 - 市内の経塚
- 県内の主要な経塚
- 鋳物師と銅生産工房
- 経塚に込められた願い
①弥勒出生や極楽往生を期待しました(初期・・・平安後期)
②極楽往生・現世安穏・自他利益(平安末期)
③現実的な追善供養(鎌倉時代~室町時代)
このように、経塚は、極楽往生・現世利益などの祈願に変化しまして、
当初の経典保存は忘れられて、12世紀を盛期にしまして一時衰退しましたが、
中世になりますと廻国聖が諸国で活発に納経活動をしまして、
庶民(富裕層)に広まり、追善供養などの意味も加わり活発になったといわれています。
11.経塚の造営
貴族や僧侶、神官のほかにお役人や富豪層・有力者など
貴族や僧侶、神官のほかにお役人や富豪層・有力者など
広範な人々によってつくられました。
以上について、詳しく講義していただき、
「極楽往生」+現実的な「追善供養」への移行
などが理解できました。
などが理解できました。
猪狩先生、
ユーモアあふれるわかりやすい講義ありがとうございました。
出土品のカラーコピーの資料も迫力ありました。
0 件のコメント:
コメントを投稿