立派な「鬼椿」です。
大国玉神社で毎月出しています「くにたま通信」です。
第115号になりました。
4月で4年目に入りますので、
30号以上は読んでいます。
昨夜、「なるほど歴史塾」の新年会を
ラトブ近くの中華屋さんで行いました。
和気あいあいの話の中で、
当然「寛政十一年農家年中行事」の本の編集話で盛り上がった後で、
いのしし君より、10歳くらいうえの方々より、前の戦争時、小学校の頃の戦争で、
飛行機を見た、または爆弾投下の記憶話が出ました。
平はもちろん、東京、台湾などでの話に拡がり(当時は方々にいました。)、
そうした記録を「寛政十一年農家年中行事」を本にした後で、
記録としてまとめてはどうかという話が出まして、
まとめようという方向になりました。
いのしし君自身は、戦後生まれですので、直接戦争体験はありませんが、
両親は3月10日の東京大空襲で焼きだされ、
祖父、病身の姉を連れながらでしたので、
いわきに戻るのにも苦労したようです。
1日で10万人が殺された
世界に例のないジェノサイドとして問題にすべき事実です。
又、いのしし君の祖父は、日露戦争に行き、怪我をして戻ってきてから、
3人の子供を抱えながら、軍事恩給で
早稲田大学の英文科を卒業したのが、36歳の時だったようです。
当時の36歳は今の年齢ですといくつくらいになるのでしょうか。
又、祖父の経験しました「東京大震災」などの
悲惨な見た事実を両親から聞きましたが、
そのように、どの家庭でも、小説のネタになるような話は、
私達も聞いているのではないでしょうか。
そのようなエピソードをぜひまとめ、記録として残しておきたいですね。
上記「くにたま通信」は、
今回は禰宜の山名隆史先生が、「捕鯨」問題について、
歴史的・文化的にコンパクトにわかりやすく書かれている
貴重な論文になっていますので、
多くの人に読んでいただきたいです。
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